いつもそばに犬さえいれば

最終更新: 2019年12月15日

物心ついてからずっと、犬が大好きです。幼少の頃、お絵かき帳に黒と茶色のクレヨンで、どこで覚えたのかテリアの絵をたくさん描いていたらしく、将来自分が飼う犬が見えていたのかなーと不思議に思います。

愛犬はな、2000.5.24-2014.7.28

初めて飼った柴系の雑種犬チロは若くして死んでしまったのですが、中学生のときに飼い始めた柴とテリアの雑種犬ミックは15年以上生き、私の「犬愛」を決定づけました。彼女がいなくなってから約5年のブランクを経て、2000年7月にケアンテリアのはなを飼い始めました。最愛のはなは2014年の夏に死んでしまったけれど、その3年前に我が家に来たプードルとダックスのミックス犬(雑種犬ではない。笑)、ふうが一緒にいてくれたことで、その悲しみはかなり癒されたと思います。


はなは死ぬとき、私たちの悲しみを最小限にするよう配慮して逝ったと私は今も思っていて、そのおかげで心配されたペットロス状態にはならずに済んだのですが、それでも急にとことん悲しくなり、何時間も涙が止まらないことがありました。夜中に起き上がって個室にこもって泣くんですが、そんなときいつもドアをカリカリとノックし、ふうが入ってきて隣に座るのです。そしてしばらく静かに待った後、膝に乗ってきて真剣な目をしながら「もういいよ、もういいよ」と、ずっと顔をなめ続けてくれました。


思えばはなも、仕事でつらいときや、くやしいことがあって一人でこっそり泣いていると、いつも同じことをしてくれました。部活の試合で負けて、実家の縁側に座って落ち込んでいた中学生の私を慰めてくれたのも、庭で飼われていた愛犬ミックでした。


実家の庭で飼っていた愛犬ミック。おとなしくて頭のいい子でした。部屋で飼えたらどんなによかっただろうと今でも思います。

愛犬とは楽しかった思い出もたくさんあるのに、不意に甦るのは決まってそんなシーンです。一人で悩んだり、悲しんだりしているとき、黙ってそっとそばに寄り添ってくれる小さな相棒の存在に、子ども時代からずっと助けられてきたことが、私が犬を愛する理由かもしれません。


可愛がっていた愛犬や愛猫が死んでしまった後、もうこんな悲しい思いをしたくないと思うのか、それきり飼うのをやめてしまう人もいますね。もうその子との思い出だけでいい、という気持ちもわかります。でも、そんなふうに悲しむことのできる愛情深い飼い主の方には、また別の子と暮らして、幸せを分け合ってほしいな、とも思うのです。

アニヤ・ハインドマーチで作ってもらった愛犬はなの古いバッグを、知人の作家さんにお願いしてクッションに仕立て直してもらいました。ふうはよく上に乗っかっています。

ひょうきんで内気な性格の愛犬、現在7歳半のふうとの暮らしはもうしばらく続くと思います。そして私はたぶん、これからもずっと犬と暮らすでしょう。私には、自分が選んだ目の前にいる1匹なり2匹なりををずっと大切にすることくらいしかできないけれど、人間の友達として生まれてきた犬の美しい魂から幸せをもらって、少しはこちらからも分け与えて、一緒に楽しく暮らしていきたいと思っているのです。


PS

はなの不在にようやく慣れた頃、お別れに(というか、ほぼ自分のためだったのかも)書いた文章をこちらに残してあります。ちょっと長いけれど、よかったら読んでくださいね。