言葉の持つ力(もっと人をほめようと思ったこと)


お恥ずかしい話なのですが、20年以上も結婚生活を送っていると、相手に対していつも優しく理解のある態度でいられず、しっかり話し合いもしていないのに日頃の相手の言動から勝手な解釈をして腹を立て、その結果モヤモヤやイライラがたまって、つまらないことで喧嘩になってしまう、そんなことが多々あります。


そういうことがなんだかしんどいなと感じていたある日、自分にとっては結構大きく気づいたことがあったので、ここに書き留めることにしました。



少し前から、仕事でもプライベートでも役に立つだろうと思い、「コーチング」というインタビュースキルを先生について学んでいるのですが、その練習&実践課題の一環として、一番難しいと言われる家族(特に配偶者)を相手に選び、あるテーマについて対話をしました。「課題提出のために協力してもらう」という口実は、コーチとクライアントという一種の「役割コスプレ」みたいな状況を作る助けとなり、45分間のセッションは意外なほどスムーズに穏やかに前向きに進みました。


その対話の中で、普段は聞けない相手の心情はもちろん、目指していることや難しいと思っていることを素直に話してもらえました。初めて聞く「最近実現できたこと」があって、それに対してこちらも「それは素晴らしい、よくやったね」といった気持ちで言葉を返すことができたのです。セッション終了後はもちろんすぐ元通りの会話に戻ったのですが「面白かったね。またやろうね」と言ったら、相手はちょっと嬉しそうな顔をしていました。


その次の日、時々ウェブサイトを見てくださっている方からメッセージをいただきました。そこには、そんなふうにほめられたことは一度もないよ、と本当に驚いてしまう言葉が並んでいました。夜中に読んだせいもあるかもしれませんが、いやー、ちょっと泣いちゃいました。ご本人の了承を得て、一部をご紹介させていただきます。


その方は、別サイトにアップした記事ファンの一人としてできることを読んで、何度かビストロ サン ル スーのサイトを見てくださったそうです。

「このお店の料理を食べたことがなくても、サイトからこの店の持つ魅力が伝わってきました。OUR STORYのページでは、普通ならオーナーの方が自分のことを語る口調で書くところを、エディターが雑誌でお店の背景を紹介するような形で書かれていますが、これってちょっと間違えると「カッコつけてるな」という印象を与えかねない。でもこの文章は呼吸をするようにすっと入ってくるんです。それは経験やテクニックだけではなく、その人の才能や蓄積してきた想い、ハッピーなこととか悲しみとか、そういうものがあった上での文章が持つ力のような気がします。Eric Claptonのギターの音って、ラジオで『キュゥーン』 という一音聞いただけでクラプトンだとわかるでしょ。あなたの文章も、これからいつかどこかの本やサイトで読んだときに『ん?これ田村さん?』と感じるんじゃないかと思います。ほめすぎかもしれませんが、そういうことです。近いうちに、ビストロ サン ル スーに行こうかなと思っています」。



大人になると、そして仕事で経験を積んでくると、誰かからほめられることが極端に減り、至らなかった点を指摘されることの方が圧倒的に多くなります。このくらいのことはできて当然。標準以上レベルのアウトプットや、締め切りを前倒しした納品ができるのも当たり前。もちろんそうなのですが、一部でもほめていただくとシンプルに嬉しいし、もっとがんばろうというモチベーションが湧いてきます。「本人に伝えるべきだと思ったから」と、わざわざコメントを送ってくださったご厚意に感謝するとともに、果たして自分は周囲に対してこういうことを実践していたか?と省みると、冒頭に引いた例を話すまでもなく、あまりできていなかった気がします。


コーチングの基本は「相手を承認する」姿勢だと学びました。自分の解釈はいったん置いて、相手のことを認め、ニュートラルに理解し、寄り添う姿勢が何より大切。もちろん、応援したいと思える相手でなくてはできないし、簡単に思えて実はとても難しいことなのですが(厳密には、「認める」ことと「ほめる」ことは違うのですが、その話はまた別の機会に)。


モヤモヤとした混乱の中にあること、ぼんやり感じていること。それを言語化することから、次に進む何かを見つけることができるのだろうと思います。それは、話し言葉でも、書き言葉でも同じ。自分の発する言葉が、誰かを元気づけたり、明るい気持ちにさせたり、前に進もうという力を得る助けになったりするなら、喜んで協力したいと一連の出来事を通じて改めて思いました。たぶんそれが、自分がこれからの時間とエネルギーを使って成し遂げていくべきことなんじゃないのかな、と思った次第です。