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クリエイターズ・インタビュー:ハウスオブポタリー 荻野洋子さん

生活雑貨とアンティーク、建築とインテリア、庭づくりと幅広い分野で、イギリスの暮らしをテーマにエレガントなスローライフを提案し続けて30年。今回は「ハウスオブポタリー」の荻野洋子さんをご紹介します。

1年前の初夏、ショップにて。長い間看板犬を務めた人気者バーティ(当時16歳)と荻野洋子さん。

荻野さんは、ハウスオブポタリーをスタートしてから30年間、どんどんご活躍の場を広げてこられましたね。ビジネスを始めたきっかけや、ショップをオープンされた頃のことを振り返っていただけますか?

外語短大の指導教授のアドバイスで卒業後に1年間、英国ケンブリッジのカレッジに留学し、25歳でさらに1年、イングランド中部のダービーのカレッジに通って、景観デザインを学びました。帰国後は外資系の会社に勤めながら、大好きなイギリスの生活にまつわることを仕事にする夢を実現するために、どんな形で起業するのがいいだろうと案を練っていました。30歳少し手前で結婚して子どもが生まれ、息子が3歳になった32歳のとき、会社員時代の貯金を元手に、事業をを始めました。

アイデンポタリーの手描きの器、スイカズラとブルーデイジー。窯は残念なことに10年前に生産を終了。現地で10倍以上の値段がついているのを見ることもあるそう。

初めに手がけられたのは、陶器の輸入販売だったんですね。

イギリスの歴史と奥行きのある生活文化を、どんな切り口で日本の方々に伝えようか考えた結果、まずはテーブルの上から始めようと決めました。「ハウスオブポタリー」(直訳で「陶器の家」)という名前もそこから来ています。当時の日本人にとってイギリスのテーブルウェアといえば、ウェッジウッドやロイヤルドルトンなどの高級ブランド食器のこと。でも本国にはもう少しカジュアルなクラスの素敵な器もたくさんあるので、それを知ってもらおうと思ったんですね。インターネットのない時代でしたので、陶器会社のイエローページのような本を取り寄せて100社ほどピックアップし、1通1通手紙を書いて商品カタログを送ってもらいました。その中から2社ほど感性の合う会社が見つかり、そのうちの1つが南部のライという町にある「アイデンポタリー」でした。家族経営の小さな工房で、現地に1ヶ月ほど滞在して作り方や絵付けの仕方もじっくり見てきました。いきなり手紙を書いてきた見知らぬ外国人の私を暖かく迎えてくれ、私も「あなたたちの器を日本に広めるから」と約束して。彼らとは長いお付き合いになりました。


ジェーン・ホグベンの陶器も息の長い人気商品。現在はマグやボウルなどを生産しています。

ご自身で選んで輸入した陶器は、よく売れましたか?

鎌倉山の麓に小さな店を構え、器を売り始めたのですが、当初は全くと言っていいほど売れませんでした。全てを任せてくれたアイデンポタリーをはじめとする作り手の皆さんに申し訳なくて、いてもたってもいられず器を持って東京の雑貨ショップに突撃営業に行ったのを思い出します。そのうち、月に1店舗くらいずつ契約が取れるようになって、卸の仕事が軌道に乗り始めました。2年めに、英国大使館の商務部の方が訪ねてきてくださり、池袋サンシャインシティで行われた国際見本市にブースを出すことになりました。


初めての展示会出展ですね。

ある日、ブースに立ち寄ってくださったのがインテリアスタイリストの岩立通子さんと、雑貨カタログ創刊編集長の石神真紀子さんでした。しばらく丁寧に器をご覧になって「面白い商品ね」みたいな会話をされているのが聞こえてきたのですが、岩立さんがふとこちらを向いて「すごくユニークね。あなたが選んだの?」と。「はい」と答えると「これ、とてもいい商品だから、間違わないように取り扱いなさいね」とおっしゃったんです。


岩立通子さんといえば、インテリアスタイリストのパイオニアですよね。「間違わないように」って、どういう意味だったんでしょう。

高級ブランド品じゃないけど、大量生産品とも違う。売れた方がもちろんいいのだけど、ただたくさん売れればいいというわけでもない。この器の持つ魅力をわかって取り扱ってくれるお店を選んだ方がいいよ、というアドバイスだったんだと思います。私の選んだ商品が日本の市場に合っているのか悩んでいたので、認めていただけたことは嬉しく、大きな自信になりました。


その出展がきっかけになって、メディアに多く取り上げられるようになったんですね。

出展料、本当に高かったんですが、なけなしのお金をつぎ込んでよかったです(笑)。しばらくするとお店のお客さんも増えて、その後10年間はたくさんの器を仕入れてはスタッフ総出で売り切り、人気雑貨ショップと共同で商品開発をしたり、日本市場に合う商品づくりのアドバイスをしたりと、とても忙しかったです。


四季折々の花を咲かせる、ハウスオブポタリーのイングリッシュガーデン。

話は変わりますが、荻野さんのお父様は庭の専門家なのですよね。

はい、庭師なんですが、ちょっとセンスのいいおじさんで、私に「大きく広く物事を見ること」を教えてくれました。イングリッシュガーデンブームだった90年代後半、父と3回ほどイングランド南部を旅して、現地の庭を一緒に見て回ったのですが、その頃父に「今は器が売れているけれど、それもずっとは続かないよ。今のうちに次のことを考えておいた方がいい」と言われたのを覚えています。


イギリスの生活文化を伝えるとき、庭も大きなキーワードですもんね。

はい。庭の景観を知るには、建築のことを知らないといけないな、と痛感したこともあり、42歳のとき二級建築士の資格をとり、少しずつリフォームや新築の仕事もさせていただくようになりました。


お仕事も忙しかったでしょうに、資格取得のための勉強はさぞ大変だったのでは?

夜間の建築専門学校に通って猛勉強しましたが、当時は大変というよりとにかく「やりたい!」という気持ちが強くて。器の売れ行きも落ち着いてきていたので、私が新しい知識とスキルを得て、建築インテリア全般に移行していかなければならないという目の前の目標と、かき立てられるような気持ちがありました。建築を学んで、イギリスをお手本とした幸せなライフスタイルをより広く深くお伝えできるようになりたかったんです。ちょうどその頃、会社員をやめて翻訳家になっていた夫が、夜学のお弁当を作ってくれたりしました。


元の建物を生かし、内部を全面リノベーションしてイギリスのゲストハウスのようなインテリアを実現した、八ヶ岳原村のゲストハウス「ワンズワース」。荻野さんがデザインを手がけました。

お父様といいご主人といい、理解のあるご家族で素晴らしいですね。初めにお聞きしそびれていたのですが、なぜイギリスだったのだとご自身では思いますか?

初めに訪れた街がニューヨークだったら、そのままそこにはまっていたのかもしれないですが、やはりヨーロッパの歴史ある文化に若い頃から憧れていたんだと思います。計2年間留学していましたが、そこにいると何かひたすら嬉しくて喜びが溢れてくる感じがありました。ゆったりした時間の流れや、仕事とプライベートのめりはりのつけ方、お金がなくても楽しめる気晴らしの仕方、周りに流されず、自分の暮らしを大切にすることなど、学べることがたくさんあると思ったんですね。


「ハウスオブポタリー」も荻野さんも、どんどん発展してお仕事が広がりましたが、なかでも一番好きなお仕事は何ですか?

今、家をデザインする仕事が一番気持ちにしっくり来ます。相手の話をよく聞いてご希望を引き出し、ライフスタイルを投影した空間にするのはもちろん、少し古いものを使うなどして、住む人の気持ちの余裕をつくる家になるよう心がけています。英国の建築でいうとジョージアン様式のような、端正でシンプルでエレガントな家が理想。完成まで時間のかかるハードな仕事ですが、よい仕事を1つずつ残していきたいです。


鎌倉山のショップの隣に、ランチやお茶を楽しめるカフェ兼ギャラリーがリニューアルオープン。

それにしても、30年間も第一線で走り続けるのはすごいことですね。

いえ、なんだかいつも一生懸命なだけなんですよ。始めちゃったらもうやるしかないという感じで。器、アンティーク、ショップやカフェ、ギャラリー、建築、庭などいろんなことをやってきましたが、いろんな柱があったから30年も続けてこられたのかなと思っています。これまで夢中で働いてきましたが、60歳を超えたときにやはり体力が落ちたなと感じました。もう馬力だけでは働けない、これからどうしたらいいかなと考えていたら、他の仕事をしていた息子が手伝うよと言って入ってきてくれました。


犬も泊まれる鎌倉山の1LDKのホリデーフラット。思い思いの休暇が楽しめます。

新業態のホリデーフラット(ゲストハウス)ですね。

私とはちょっと違った視点でハウスオブポタリーという箱を見ているようで、面白い提案をしてくれます。カフェ事業を任せているスタッフも同じで、このプラットフォームを生かしてやりたいことを話してくれます。今後のことを考えてくれる次の世代がいてくれて嬉しいです。私はこれまで本当によく働いてきたので、現役ができるもうしばらくの間は、好きなことを丁寧にやっていこうと思っています。


時間ができたら、プライベートでやりたいことはありますか?

みんなに任せる仕事が落ち着いたら、もう一度留学したいんです。今度はイタリアに。実はそのときのためにイタリア語を勉強しています。建築をじっくり見に行きたいな。あと20年くらいは元気でいられると思うので、いろんなものを見て、人に会って、面白いものをたくさん体感したいですね。


いつも好奇心いっぱいで、元気でいられる秘訣は何でしょう?

昨年暮れに他界した愛犬バーティがいたときは、毎日2時間、近所を散歩していました。大好きな犬と身近な自然は日常のリフレッシュ。もう一度、同じビーグル犬を飼いたいんです。あとは、イタリア語と庭いじりですね。父がいなくなってからも、庭仕事は一年中やることがたくさんで、どんなに頭の痛い問題を抱えていても、ちょっと凹むようなことを言われた日も、庭に出て無心に手を動かしていると忘れちゃうんですよ。


インタビューを終えて

ハウスオブポタリーの世界が30年間ずっとブレない理由は何だろうと思っていました。若い頃に憧れたイメージを、時間をかけてあらゆる形で具現化して、人々を楽しませてきた荻野さん。これまでのお仕事の歩みや思いを聞き、思っていた以上に男っぽいというか、実業家的な横顔を感じました。エレガントで優雅な物腰に宿る、強い意志と情熱とど根性。実にかっこいいです!


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